しあわせ家は、日本で一番素敵な笑顔の集まる工務店を目指します!
おかげさまで創業100年、長野市若穂で家を建てる人たちに、一番多く選ばれた工務店
しあわせ家 田尻木材株式会社 四代目の田尻でございます。
こんばんは。
8月最初の2日間、宮城県に行ってきました。
メインの目的は企業視察研修や、仙台で顔晴っている「感コン2012」同期の仲間を激励する、という内容でした。
壊滅状態になった東北の牡蠣養殖を救おうと立ち上がった、1人の中小企業の社長。
このオトコ、齋藤さんは、本当に東北の牡蠣養殖の救世主となってしまった!!
よかったら応援してあげて下さい。
私も牡蠣が苦手なんだけど、応援しに行っちゃったぐらいです。
和がき というサイトで売ってくれてます!
さて、今日メインでお伝えしたいのは、私が感じてきた、2年半経った被災地の様子。
もちろんあの震災直後、テレビでバンバン流れたあの生々しさはもうあまり見られません。
でも、実はそれ以後にちゃんと被災地入りしてそういう話を聞いたのは、事実上初めての私。
そこには、離れていては分からなかった、被災した方の生々しい話がありました。

ここは仙台市内、仙台港の近く。
案内して下さったのは、あの地震と津波の時、ここで被災した方でした。
ここ、今はなにもありませんけど、震災前は、普通に住宅街だったそうです。
流されたんで、なにもないんですね。
「ここだけで4~500人は亡くなってるんじゃないですか?」
・・・そんなセリフが普通に出てきてしまう会話。
それは別に不謹慎なんじゃないと思うんです。
私たち「被災していない者」から見たら、あまりにも人の死が普通にその辺に大量に転がっている(そう、文字通り転がっていた)、
そんな体験をしてしまったので、感覚が変わってしまっただけなのだ。
ただ、そんな事は未体験の人間からすると、あまりにも刺激が強い。

仙台港近くの工業地帯。
指でさしたあたりまで、津波は到達していた。(最高到達地点はもっと高い)
ココは、被災した翌日にこの施設の再稼働を決めた。
その経営判断の速さは見習うべきだと感じた。
(実は、すごーくグサッと突き刺さった)

先ほどご紹介した齋藤さん達が新しい取り組みでやっている牡蠣の飼育場を視察。
新しいことにチャレンジするのは、本当に大変なのを実感。
牡蠣が食えないくせに、応援したくなる。
さっきのサイト、ゼヒ見て下さい。

2日目は、南三陸町方面へ。
あ、そう、さっきの牡蠣から2日目です。牡蠣は東松島。
南三陸に近づくと、コンビニが仮設プレハブだった。
「こっちはこんなモノですよ」・・・マジかよ、そんなの見たことないよ・・・

あの南三陸町の材木屋さんへ。
地震、そして津波から命からがらギリギリで逃げ出したこと。
その場で目にした光景、その、体験してない者からしたら到底信じられない限界体験、
そして、人の命が、人の魂が抜けた亡骸が普通にその辺にゴロゴロ転がっている異常事態。
そんなお話しに、吸い寄せられるように耳を傾けていました。
写真は、震災前の、南三陸町。
そして・・・

現在の、南三陸町。
ここにはかつて、一面の住宅街が広がっていた。
それが、なにもなくなっている、この光景。
仙台の夜の街も出てみた。
ここは確かに復興していた。賑やかだった。
でもそれは、そこだけの話だ。一歩離れてみれば、傷跡は大きく残っていた。
ましてや、ここは南三陸。
津波の高さは、仙台の比ではない・・・
そして、ここ。

絶対、いつか行こうと思っていた。
そもそももっと早く行きたかった、でも、なんとなくきっかけがないことを理由に尻込みしていたのは否定できない。
そして2年半が経ってしまった。
でも、ついに来た、ココへ。
そう、あの津波を知らせるアナウンスの舞台となった場所。
あ、ダメだ。また涙が止まらない(汗)
もう、ただただ、その行動に敬意を表したい。
手を合わせ、深々と頭を下げて参りました。
生きてるってコトは、普通の何でもない日常があるってコトは、ありがたいんだ。
でもそれをつい忘れてしまう。
皆さん、生きていることに感謝して、
そして生かされている意味を感じ、自分が出来ることを、精いっぱい顔晴ってやっていこうよ。
そんな気にさせられた。
もっといろいろあるんだけどね。
涙とまんないから、また。