おかげさまで「なから創業115年」
しあわせや 田尻木材株式会社 四代目半の田尻でございます。
こんにちは。
ちょっとショッキングな写真でごめんなさい。
3月始め、被災地である輪島市に、視察に参りました。
トップの写真は、地震に見舞われ、火事に見舞われ、焼け野原状態の朝市通り。
不謹慎ですけど、これが現実だとはとても思えない状態でした。
地震の被災地に、まだ生々しい状態の時に入るのはこれで2度目。
1度目は2007年の中越沖地震の時、柏崎に入った時でした。
改めて調べてみると、柏崎は震度6強。
今回の輪島は震度7(とは言え、ほとんどが震度6強だったっぽいような)
そういう意味では同クラスなのかも知れない。
家をつくる仕事をしているので、
記録としてたくさん写真を撮りました。
しかし、だからと言ってメディアのようにそのつぶれた家の写真をやたらに公開する気にはならなかったので、現場の様子を最低限伝えられる写真だけにさせていただきます。
だって、25年も家をつくってきて、この家一軒一軒に住んでいた人が居るってことを考えたら、なんかいちいち胸がいっぱいになるのですよ。
↑の写真も、真ん中にある路地の奥の方までダダダっとつぶれてるのですよ。
中越沖の時にもつぶれた家は何軒も見ました。
でも、こんなにか??こんなにではなかった気がする、少なくとも私の見た範囲では。
もちろん私が見たところは、どちらの地震でも本当に限られたエリアだったので、そこに差があったのかもしれないけど。
でも、輪島は、ひどかった。。。
この街、このエリア、どうやって復興するんだろう?
ほぼ全滅だろ?と思うほど、まともな建物がないブロック、めずらしくなかったのです。
ただ、これにはちょっとワケがあるような気がします。
私が見た輪島の市街地って、例えば京都のように、間口が狭くてうなぎの寝床みたいに細長い土地で街が形成されてる感じでした。
そこにみんなが家を建てると、どうしたって道路側は開口部が多くなる。
つまり、窓や扉が多い。それは間取り的に耐震性が低い、というコトになるのです。
おまけに古い家ばかり。
耐震基準という意味で言うと、旧耐震と呼ばれる1番脆弱な時代の建物。
その時代は土壁が中心で、建物は重い。和室中心だから壁が少ない。
おまけに地域性もあって瓦屋根ばかり。
なおかつ、敷地が狭いから、ムリヤリな3階建ても多かったようで。
そんなところに、車社会が来たから駐車場確保なんて言って1階部分をくりぬいてたり、
店舗営業をするために柱間隔を広くしたりしてる家も多いモノだから。
怒られるかもしれないけど、ハッキリ言うと、なるべくしてなった、という印象がありました。
こんな建物の状態なら、こうなるよな、という感じです。
一方で、新しい家はどうだったのか?
おそらく、最新の耐震基準になった2000年ころ以降の建物は、
私が見た限りですが、大きなダメージを負った家は見当たりませんでした。
全部が耐震等級3だってことはないでしょうけど、
全般的に見て、今の耐震基準はかなり丈夫なんだな、というのを実感したのも確かです。
もちろん、細かいゆがみなどを見ていけば被害がないわけではないと思いますけど。
なんにしても、地震て怖いな、と改めて思いました。
しあわせやとしても、これまでも丈夫なお家をつくってきたつもりですが、
(例えば耐震等級3で要求される耐力壁量を超える量を常に盛り込んでいるとか)
さらに一層磨きをかけるつもりです。
詳しくはまたそのうちに・・・
ということで、